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★天使マックに捧ぐ★

マックと闘った360日の記録

私たちの家族の愛犬マックがなくなってから、もう10余年が経ちました

出会いがある以上別れもある・・・・。という現実を痛感した悲しいことでした。


癌宣告を受けてから毎日朝晩獣医に通い、最後の1ヶ月は歩けなくなってしまったです。

でも、マックは明日が必ずやってくるという強い意志を、最後の最後まで持ちつづけました。

生きる事の尊さを身をもって、教えてくれたマック。


私たち家族を励ましつづけてくれたマック。




マックと闘った---360日記録
16年間風邪ひとつひかず、元気いっぱいだったマックの体調がおかしくなったのは、
年も暮れようとする11月末だった。
発病

起き上がるなり、よろめいて倒れそうになった。マックは、16年間毎日自宅から私と一緒に通勤して一日のほとんどをそこですごしていた。

すぐに気が付いたので、とりあえずオフィスの近くにある病院に連れて行った。(仕事そっちのけで)その日の検査で、肺炎気味であるということがすぐにわかった。人間で言えば80歳近い年齢ある意味避けてはとおれない事だとは思ったが、ともかく、点滴その他組織培養検査などを行った。正式な結果は後日ということであったが、点滴が効いたのかとりあえずは楽な感じになったので、安静にという事でと普段どおりの生活をしていた。

宣告
なんとなく、元気がないのが気になっていたが、マックは、「大丈夫だよ」という顔をしておとなしくいつもどおりの生活を続けていた。時期的に寝る間もおしいくらい忙しくまた、若気のいたりながら私の仕事は、業界紙にサクセスストーリーとして紹介されるなどしていたので、自宅近くのかかりつけの医者に連れて行きたかったが、時間がなかった。しかしながら、それが今思えば大失敗だった。発病から1週間が過ぎたとき電話がなった。それは、先般の組織検査の結果を知らせるためのものであった。その結果とは「悪性の腫瘍があるので、年を越せないだろう」という、ものであった。衝撃というか、言葉にはあらわせない複雑な思いでその言葉を聞いた。    なんでだよー、嘘だ、間違いだろう、マックとは、すでに以心伝心、たまたま犬という形をしているだけで、言葉はしゃべれないけれど、家族の一員であり、たとえば、「ちょっとそこじゃまだからどいてくれない?」と話し掛ければ、すぐに通じて場所を移動してくれる位だった。だから、私が動揺したらすぐにマックは察してしまうにちがいなく、マックをオフィスに残して、話を再度確認にいった。 何度聞き返しても、結果は変わるはずはなかった。また手術をして治療する事も腫瘍の部位や年齢からして無理だといわれた。さらに、「わんちゃんの為には、考えられる方法として」と断った上で、「安楽死」という話までされた。
悩み
どうしても、「安楽死」という事はうなずく訳にはいかない。痛がって苦しがってのた打ち回る状態ならいざしらず、確かに元気がなくなってきてはいるし、検査の結果からすれば人間でいうところの末期癌である。決断するのは自分しかいない。しかし、安楽死という事は言葉上だけの奇麗事であるような気がしてならず、どうしても「はい」とはいえない。しかし、このまま進行するのを待てば、マックにとって負担になるかもしれない・・・・・。16年間休んだことのないオフィスを閉めて、開店1号のお客である近所のかかりつけの医者にマックを連れて行った。検査は同じだったが、自然の摂理にまかせ、マックが苦しくないようにという点に重きをおいて治療していこうという結論になった。無論異存はなく、その翌日から、毎朝オフィスに行く前に、獣医によって注射を打ってもらうという日々が始まった。心臓にも、負荷がかかるためなるべく他の犬に会わないように、犬のこない公園を探してそこで散歩をするようにした。仕事に支障がないといったら嘘である。しかし、仮に年内しかもたないならば、共に歩んできたマックと1分1秒でも長く一緒にいたかったから、できることは、なんでもしてあげようと決めた。なんとしてでも、年を越そう、それが当面の目標だった。                
運命の年末が近づいてきた。 連日の注射のおかげもあってか小康状態が続いていた。というより、一時期に比べれごくわずかながら回復の兆しが見え始めてきた。とはいえ、肺の片方は完全にだめになっていたので、例えばおしっこをしようと足を上げただけで、酸素不足になってそのまま倒れてしまうことが何度かあった。医者は、体内の酸素が不足していて、一時的に頭に酸素がまわらなくなる(貧血状態だから)といわれて最初は、登山やスポーツのあとに吸う酸素を購入した。しかし、あれは、あくまでも、おもちゃてき?なもので酸素濃度が足りない。私は何度も入院したことがあるので、人間が吸う酸素ならばとおもって、それをてにいれようとした。ところが、初めて知ったのだが、酸素というのは取り扱いに許可がいるので、普通では手に入らないのだ。ちゃんとした酸素を手に入れるためには処方箋が必要で、もちろん人間の医者の診断書がなければ手にすることができないという壁にぶちあたった。あらゆる人脈とマックを想ってくれるクライアントや業者の人たちが、ある手段を講じて、人間用の酸素ボンベとマスクをてにいれてくれた。私の人脈というより、マックはそれだけ他の人にもかわいがられていたので・・。その効果はてきめんで、負荷がかかりそうなおしっこなどの時には、マスクをはなにあてがってやると、倒れることは皆無になった。今でも感謝しているのは、そんなときにわざわざ家のマックに尽力してくれた何十人もの人々。業者の人などは、仕事とちゅうなのに、わざわざマックの様子をみにきてくれたり、、、、、、。本当にマックを取り巻いてくれてる人たちは、我が子のようにマックを想ってくれていたのがとてもうれしかった。なかには、犬も猫もだめなのよーといいながらマックだけは大丈夫なのというひとまで・・・・・・。そんな、温かい環境に恵まれてマックもがんばっていた。そしてついに、最初の医者があれほど強気に年内はもたないと断言した事を打ち破ることに成功した。かかりつけの医者も本来なら年末年始は休業なのだが、マックのためにだけ、病院をあけておいてくれた。なんか、マックを軸にみんなが固まっておうえんしてくれることがとてもありがたく、また、それに答えてがんばりぬいたマックもしかしたら、奇跡が起きるんじゃないかとおもった。毎日が病気との戦いでもあったが、人の情をこれほどかんじたことはなかった。たぶん、それはマックの人柄?であろう。僕のオフィスには毎日5〜60人の人がではいりするけど、僕に用事がない人がその1/3はいたから。。。。。一応家の専務の名刺をつくってあった。
余命宣告を乗り切ったことで、希望がうまれてきた。しかし、湘南は温暖な地とはいえ冬は寒い。野良犬として迷ってきたときから、オフィスと家の中ではといれをしないようにしてあったので、体にはよくないのだが散歩は続けていた。効果があるかどうかは疑問だけど、家の庭にでは電気ストーブをもってそばにつきそっていた。また屋外のときは、当時あまり普及したなかった車のDCをACに変換する機械をつけ、同じく延長コードに小型のストーブをつけて、酸素ボンベをもって、つきそっていた。はやく、はるがきてほしい・・・・・・・・。それが切なねがいだった。このころからもう片方の肺もむしばまれっていった。。。。歳とっている分進行がおそくなったのと多少薬がきいているような感じ。肺が膨張してきて、おしっこがでにくくなってきたので利尿剤を一日3回飲ませるようになった。なにはともあれ、新年をむかえることができ、ほっと一息。ある種の緊張は取り除かれて、少し 精神的にもらくになったけれど。
すでに、余命せんげんから8ヶ月以上が過ぎた。マックのがんばりはすごいはげみになった。直るわけではないけど、この調子ならだいじょうぶじゃないかと期待したいたときのことだった。深夜3時ごろ、突然四肢に痙攣を起こし、倒れてしまった。「まっくーまっくー」と叫びながら必死に体をたたいたが反応はない。呼吸もとまってしまい口から舌がでてしまった。あわてて酸素をのどに入れ、心臓付近をたたいて人工呼吸を繰り返した。そのあいだに、家人がかかりつけの獣医に連絡。その獣医は、銃医師会の会長をしていたので、緊急手配をしてくれて、蘇生を試みながら早速病院に。なんとか意識を回復したが、やはり病魔はひそかに着実に進んでいるが、ふたたび重くのしかかってきた。僕の「命」を削ってもいいからマックに与えてほしい、、必死に願ったのがつうじたのかもしれない。朝まで付き添って、そのままオフィスに。自分の目の届くところにいてほしかったから・・・・。   もしかするとまた発作がおきるかもしれないし。。。。マックはその日「ごめんね迷惑かけちゃって」というような顔をしていた。僕は、マックががんばってくれたことがうれしかった反面、あの時、そっとしておいたほうがよかったのかもしれないともかんがえてしまった。マックは、限界だったのかも知れずと想うと、複雑な心境だった。もしかしたらあの時に天からお迎えがきていたのかもしれない・・・・・・・・。なんて考えると、無理に蘇生させてしまってよかったのか、ただ、自分がマックをそばにおきたいだけのエゴだったのではないかと。。。。。
分岐点

再び、がくんと体力が落ちてしまった。そのため、朝栄養点滴を追加しはじめた。散歩は、どうしても行きたがるので、なるべく短い時間にしていたが、ある日、車から降ろしたら、そこから1歩も動かない。たっているのがやっとという感じであった。今まで、、前に前に進もうと努力していたマックが動きを止めてしまった。少しでも一歩でも、自分の足で前に進もうとしていたマック・・・・・・。はやく「しっこして帰ろう」マックを抱きしめた。涙がとまらなかった。もう、限界なのか、がんばってきただろう無理はしなくていいぞ、。。。。。。。。。。おまえと苦しみをわかちあってきたから。とどめもなく涙があふれ、車の運転ができなくて往生した。

9月半ば頃になると、家でもオフィスでも1日を殆ど寝てすごすようになった。水を飲むときは、片手をちょっと動かすので、それを見ていて抱きかかえて飲ませていた。もう限界なのかもしれないという事が、否定しようもなく重くのしかかっていた。移動するのも歩けないので、肩からしょえるバックをつくって、駐車場からオフィスの間はそれで運んでいた。また、仕事は定時に必ずやめてしまって、朝晩獣医によるようにして栄養点滴を受けないと、口から食べるものではもう、無理だった。全肺の80%が機能しなくなっていた。いつ、なにが起こっても不思議ではない予断をできない状態。ここまで、共に闘ってきたから、入院はさせなかった。そのかわりにマックの寝ているところをずっとビデオでモニターしていた。トイレにいきたいとき、水を飲みたいときわずかに手を動かすから、それを見ていて、補助するようにした一分一秒の重みをひしひしと感じていた。眠たくなるので、わざと布団はひかないようにしていた。でも、3日間寝ないとどうしても2時間ぐらいはうたた寝してしまってなんで人間ねなきゃいけないんだろ、なんて事まで考えた。そんな状態が3週間位、獣医さんは、「そんなにこんを詰めたらあなたが体調を崩しちゃうから」といって、病院を早く閉めて、夜マックの尿と便をとってくれるようにしてくれた。僕のがんばりというより、マックをしたってくれる多くの人たちの協力があったからいろいろと助けられたとつくずく想う・・・・・・・。
温もり
ペットを飼う人口というのは、当時で、わずか23%だった。オフィスに犬がいることが今でこそ割合認知されつつあるけれど、10年前は、あまりいなかった。それからさかのぼること16年前に、我が家に帰ったぞとばかりに、いついたマック。最初は野良をしていたのか、散歩中にごみ箱を覗き込む癖があって、笑ってしまった。動物がいるということは、散歩その他いろいろ大変なことが多い。しかし、その存在自体が十分に私たちの家族を癒してくれた。私は、大学進学、そしてビジネス展開、いろいろと家族と意見の分かれることも多々あった。言葉の喧嘩をしていると、マックはその真中にちょこんと座ってうつむき加減にがたがたと震えたりしたので、おまえのことじゃないんだよーーーと、なっていつのまにか喧嘩をわすれてしまったり・・自分の家のペットはみんなかわいいけれど、なんだか、マックは、接する人に皆かわいがられていた。若いときは、さかりがつくと、よく脱走したが、そんなとき、おおげさではなくてマック捜索隊みたいに、近所の人や出入りしているクライアントの人が必死で探し出してくれたりもした。オフィスにくる人の中には、まったく動物は嫌いだけどマックだけは平気なんだという人、また、マックと私たちの関係をみていてペットを飼い始めてくれる人もいた。仕事で2年間海外に赴任しなければならないのでマックの写真をもっていくという人も・・・・・。どうしたらこんなにいい犬になるのといわれることも多々あったけど、別に何にもしていないのでした。つくづく想うのはマックを取り巻く温かい人々の温もり、人間の優しさをマックは自然に引き出していたのだと想う。
予感

自分の願いは、少しでも長くマックのぞばにいてあげたい、それだけだった。しかし希望とはうらはらに、第六感というか、そろそろ限度だなぁーという不思議ないまだかつて感じたことのないいやな予感があった。

それは、意識外のどこかにあるような説明のしようのないもの・・・。一日2時間以下の睡眠、仕事、マックの看病、疲れないといえばうそになるけれど、マックは、きっと僕の目の届かないところでそっと天国にいってしまうよう着がしてならず、ある意味マックにはかわいそうだったかもしれないけど、僕がそばにいる限りマックはそこで眠りにつくことは、その優しさゆえにないだろう、と想っていた。ちょっと残酷なきがしたけれど・・・・・・。でも、薬もかなり強くなり、殆ど目だけはしっかりしていたが体の殆どが機能しなくなっていた。神でも仏でも、なんでもいいから僕の命をマックにあげてもいいと祈っていたけれど、覚悟すべき日がちかずいていることがなぜだかわかってしまった。もうすこしで1年経つんだ、乗り切ろう、奇跡を起こそう、それしか頭にはなかった。しかし、都合の悪いことに仕事上どうしても断れない事がしょうじてしまった。僕は、世間になんといわれようと、仕事は断ってマックのそばにいたい、の一点張りだったが、家族は「世間はそんなあまくはないんだから」と、その仕事をするようにいうのでかなりもめてしまった。親のいう事はあたりまえの事、それが社会。でも、僕にとっては兄弟であり家族であり親友であったマックをおいて仕事はしたくなかったのだがどうしても理解してはもらえなかった。バブルの前の頃で大卒でいきなり何千万という売上をだした力みもあったし、もしその仕事がだめになったとしても、別な形で巻き返すことができるじしんもあったのだが・・・・・

天使

その仕事の前日、結論は出ぬままだった。それとは別に、普段どおりのパターンではあったが、わりと大きな目をさらに大きくしてじっと景色をみていた。なにか、記憶に焼き付けるようなそんなまなざしだった。不思議なとこは、その日マックが大好きだった人が5年ぶりに海外から帰ってきて、マックの様子をみにきたり、しばらく顔をださなかったクライアントがきてみたり。いずれもマックの大ファンであったしマックのためにいろいろしてくれた人たちばかりがオフィスに訪れた。「よかったねマック〜」合いたい人いっぱいきたねー、みんなにあえたねどうしたんだろうねっ、そんな話をしながら家路についた。

親を下ろし、車庫にいれいつものように車から降りて、マックを運ぶバックをもちあげようとしたとき、、マックは息たえていた。ほんの数秒前まで目をパッチリしていたのに・・・・・・・・。とてもおだやかに眠った顔をしていたので、もう、人工呼吸も、なにもすることはしなかったでも、あわてて家に運び込んだ。「マックがー、、、、、、まっくがぁ、死んじゃった」涙ってこんなに出るものかと想うほど、ぽたぽたととどめなく落ちつずけた。

もし蘇生をすれば助かったかもしれないが、それこそ人間のエゴになる。、そして、一度もあきらめることなく、がんばりつづけたマックに、ゆっくりやすんでもらおう。・・僕は気が強い人間で、物心ついたときから一度も泣いたことはない。しかし、このときだけはわんわんないた、いくらないてもきがすまなかった。嗚咽というより慟哭だった。やっぱり、マックは最後の瞬間は遠慮して、僕にはさらけだしてくれなかった。それがマックの性格。くしくも、おおもめにもめた仕事の前日のよるのことだった。仕事の邪魔になるので遠慮したのかーーーーーばかー、ひとがよすぎるのにもほどがあるんだーーーー。最後の最後まで、、、と想うととてもつらかった。

別れ
翌日朝獣医さんに報告にいった。獣医さんは仕事で生死をたくさん体験しているだろうからと想っていたが、「昨日マックが・・・・」といったとたんに、泣いちゃってくれた。獣医師会長で私と同じくどちらかといえばポーカーフェイスだったのに。。。。。そして「私の力が至らなかったばかりに・・・」と涙ながらにおっしゃってくれた。獣医といえども仕事、それをここ1ヶ月間は早仕舞いしてマックの面倒をみてくれたんだから、それだけでもありがたいことなのに・・・・。そのときになってはじめて、先生は毎日マックがちゃんとくるか、ずーと気にしていてくれた事、医者の目からすれば絶望的な状況であったこと、などをつげられた。でも、つくづくこんなお医者様でよかったと感謝の気持ちでいっぱいだった。また、様々な人たちに おくられて 旅立っていったマック。これほど慕われていて 幸福な奴だよ〜〜と。     
マックおすまし?
ありがとう、マック
(初めて買ったレンズの最初の被写体は必ずマックでした笑)
 

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Last Update2004.6.20


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